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あやめの花言葉は良い便り

森田療法を一回読み終えた

 

森田療法 (講談社現代新書)

森田療法 (講談社現代新書)

 

 

神経質の治療法の森田療法

森田療法は、療法というからには『神経質とは何なのか』と『神経質の治し方』についての物で~論のような人間の精神や心理を哲学するフロイトユングのような基礎心理学の物ではないんだけど、”あるがまま”や”目的本位”って言葉が気になったので買って読んだ。

 

ものすごいかいつまんで言えば

森田療法は『くよくよ悩んでもしょうがない。行動しなくちゃ何も始まらない。』っていうよくある精神論的な言葉や『開き直り』を心理学的に示した物なんだと読んでて思った。

 

あるがまま

フロイトマズローに言わせれば、リビドーや5段階欲求の不満によって起きるっていう欲求不満を解消させて対外的に消滅させれば神経質は解消するっていうところを、森田療法でいえば、そういった性格的な不満は先天的な物であって消滅させられる物でもなくそれを”あるがまま”受け入れるべきって考えらしい。

 

目的本位

じゃああるがままというのであれば、「人間関係が嫌で会社に行きたくないよ~」って言った場合、単純にその思考を受け入れて「会社に行かない」を選択するのではなくて、「生きていくためには金を稼がなくちゃいけない」=「会社に行かなくちゃ生存が出来ない」⇒「生存目的の為に出社する」っていうのが森田療法が言う所のあるがままであって、目的本位に行動するっていうこと。

神経質症になるからには「生きてくためには~」「○○の為に」みたいな目的があるはず。

 

生の欲望

その目的に当たるのが”生の欲望”、『生存欲求、快楽欲求。など』と『向上欲求。』

生存本位の一面と向上本位の一面の両方がある。

人間関係での悩むのなら「社会的に好かれる人間になるべき」だとか「人に好かれる完全人間にならなきゃ」向上欲求にのみにとらわれてしまった完璧な理想(かくあるべし)とのギャップがあるものだけど、実際は生きてる以上その完璧人間は成り立たない。

あるがままを誤解して自分が囚われた完璧な理想を実現出来ない空間に居たくない気持ちを優先した考えに陥って「会社行きたくないから行かないでいいや」と消極的になってしまうのがこの向上欲求のみにとらわれて目的を見失った悪い場合。

 

 

段取り付けて考えればかくあるべしは何らかの目的(目標)があってかくあるべしが存在するはず。しかし、その理想的かくあるべしはどうあっても成り立たないだから生存欲求と向上欲求をそれぞれ両立させた上での目的本位な行動に移るのが正しい。

 

要するに、体裁の為に目的を損なうべきではないって事。

 

 

恐怖突入

それらを全部踏まえて行動すると当然、とらわれてしまった感情を打破するにはそもそもの神経質症の問題であるところの恐れにぶつかるしかなくなる。

 

それが恐怖突入

 

ここまでで『嫌だからやらないでは状況は変わらないし治らない。嫌でもやってみること。』『くよくよ悩んでもしょうがない。行動しなくちゃ何も始まらない。』って話になる。

ラッセルの幸福論にも『不幸の根源は肉薄して理解を深め、それが日常になった時には不幸だと思うような感情はなくなってる』のような事が書いてあったし、ここで言ってる恐怖突入も結局はそういう事だと思う。

 

そもそも、完璧な理想を追い求めて恐怖に怯えていたのなら、実際にやってみればそれが誤解で実際はなんともない可能性があるし、もし、恐怖があっても目的本位で行動したことで目的達成した幸福がその恐怖を上回る可能性がある。

その幸福本位で行動できるようになればもう神経質症は治ったも同然ということ。

それも解決として『恐怖をありのままにして目的本位で行動する』って事になる。

 

批判というほどでもないけど…

ただこの場合、悩みが消えてる物ではないし『あるがまま悩みだった事を抱えてるなら治ってないじゃん』ってごもっともな批判もあるらしい。

更に言えば、森田正馬も赤面恐怖症で森田療法にも自ら赤面恐怖症だったけども~って記述があるおかげで客観的に見た森田療法派(医者にせよ患者にせよ)は自分も神経質だったっていう『くさみ』のある人間が多いらしい。

 

神経質礼賛 933.くさみ: 神経質礼賛

赤面恐怖も、も少しオドオドして、気を小さくしてもらわなければ、あまり大胆にやられても困ります。

2015/09/27 20:12

 

 

 

 

この本、途中までは通勤電車やドトールでちょくちょく読み進めてたんだけど、治療方法や実例の章に入った辺りで面白くなって100ページ一気に読み終えてしまった。

やっぱりこの本にもフロイト精神分析学が出てくるし、そろそろフロイト精神分析学入門を買った方が良いのかもしれない。

 

フロイト、心理学なんて分野がない時代の哲学を哲学する分野の中で精神に着目した物だからフロイト精神分析学を引用してテーゼやアンチテーゼを述べてる派生した心理学に比べてめちゃくちゃ難しそうって印象がある。

リビドーとかエスとか夢判断とかなんとなく知ってるみたいな状態で居たくもないし頑張って読んでみよう。