GA画集の6巻コメンタリーに「勝山で一話作りたかったのが心残り」(要約)ってコメントがあって「…勝山って誰だっけ?」と思ったのをきっかけにGA6巻を読み直してみた。
結局をいうと”勝山”は、体育祭準備~体育祭にかけて出てきたGA2年のどヘタ担当の子だった。GA2年っていうことは、トモカネ(兄)ともクラスメイトって事になるけど、トモカネ兄が殆ど保健室通学の病弱キャラだから面識があるかも怪しいのかな。
もし勝山メイン回があるとしたら勝山が下手なりに自分の美学を語るようなギャグではない結構良い話でオチるタイプの回になったのかなあと思うと見てみたかった気もする。もう以降の7巻は冬に入って最終回に向けての〆に入ってたから蛇足気味でしょうがなく入れられなかったんでしょう。
と、そこで疑問は解決したんだけど、一度手にとってなんとなくめくってたら最初から最後まで6巻を読み返してしまった。
6巻は描き下ろしが6-1話の西洋美術史を巡る話の補間を目的に、西洋絵画について時代順に絵画のパロディを交えながら解説するように出来てるんだけど、今となって読んでみると、19世紀以降ロマン主義以降の絵画は結構本物を目と鼻の先で見てきたので、解説を読まなくても知ってるし元ネタの絵画が頭の中にすぐパッっと出てくるのが新鮮で面白かった。
その解説も○○主義ってカテゴリの中でひとつだけロココ”美術”が混じっていて、ロココ自体がバロック末期の気風というか気分みたいな流行でバロック主義に内包されるものに近いだってのはわかってるけど、ノダにはしゃがせたかったのと「ぶらんこ」のスカート覗きっていうオイシイネタを使いたくて若干無茶して描きたくて入れてツッコミのために美術って変えて入れたんだろうなって気持ちになった。
僕自身はロココ自体、ロココが何かは一目瞭然でぱっとわかるけど様式とか美術とかどう表現するべきジャンルなのかが幾ら調べても曖昧でよくわからない。
クロもGAもそうだけど、きゆづき作品は、ファンタジーだったりシュールだったり完璧に表現出来てるかは置いておいて何を表現したいのかどういう表現を目指してるのかって意欲が伝わるのがすごく面白いと思うし向上心を感じるのがすごく好き。
専門的な部分は解説も交えるけど、知識ひけらかし大会にはなりすぎてないように(キャラット系の漫画は唐突に漫画と関係ない描いてるオタクの趣味(自転車とか)が唐突に出てくるのが苦手。)、話のオチをメタファーで〆て読者に解釈させようとする回がちょくちょくあるように萌え4コマにありがちな4コマオチを放棄してる物とは違ってきちんと4コママンガを成立させようとしてるのが好印象だったから好きだったのはかなりある。
本当ならこの調子で一話ずつ記事書いてもいいくらい思い入れがあるからもうこれでGA新作を読めないと思うとやっぱりつらい…
これを機にクロの方もきちんと集めてみようかな。