今日を生きる

あやめの花言葉は良い便り

ラッセルの幸福論を読んでます

あまりにもつらくて本気で何のために生きてるんだって思い込むことがかなり増えたので最近ラッセルの幸福論を読み始めた。

ぼくは読書みたいな崇高な趣味を持ち合わせていないので、200ページくらいの新書でもかなり時間がかかってなかなか半分に到達することもできない。

今、僕が読んでる前半部は幸福論といいつつ"不幸の原因"を説く部分で、幸福論を手に取るような不幸だと思いながら不幸だと思いたくないみたいな天の邪鬼そのものの考えじゃ疲れるだけって事をかいてた。

内容はというと、
競争社会に駆られていては例え競争に勝ち抜いたとしても幸福は訪れはしないし競争で負けてるとしてそこまで不幸なのってことが書いてあって「なるほどなー」と思う所もあったけど、「それでも劣等感は拭い去れないけどな。」と考えもしたし全部が全部鵜呑みして納得できるものじゃないけど、確かにラッセルのいうような不幸に陥る思考はしてるかもしれない。


でも、寝る前に解決もしない問題についてくよくよ悩んで翌日寝不足で不機嫌になるくらいなら考えない方がマシ、潜在的に恐怖を抱くことがあるのなら一時的に徹底的に向き合ってみろ、そうすりゃその内解決してるか退屈になって考える事もしなくなるだろう。って言うのは、それが出来たら苦労してないんじゃないのかな。


まあ、これは退屈に思うことは不幸じゃないって述べた後の話であって、前向きに退屈に思う、退屈を使う方法だと思えば悪いことを言ってるとも思わないかな。


読んだなかで全体的に言えるのは、確かに実際に思い当たるような節は幾つかあって愛される事が目的で愛された途端に興味がなくなるナルシストに当たる思考はTwitterで承認欲求を満たそうとする時に感じた事もあるし、
"簡単に手に入る魅力的な快楽は結果的に精神をすり減らす原因にしかならない"っていうのはそれこそTwitterだとかオナニーみたいな辞めたいといいつつ辞められない習慣そのものに感じた。



色々書いたけどまだ途中だし、またぜんぶ読み終えた時に記事をかこうとおもいます。